日本の歴史を勉強すると、最初に出てくるのが「卑弥呼」が治めたという国である「邪馬台国」です。しかし、この邪馬台国どこにあったのかというのは、実はいまだに分かっていません。それは、まだこの頃の日本に「文字」がなかったために、なにも記録が残っていないことが原因です。
歴史を知るには文字が必要
私たちが今、歴史を勉強することができているのは、さまざまな文書を歴史研究家の方が研究することで、誰がいたのか、どんなことが起こっていたのかを確認して判明(分かること)しています。
日本に残っている一番古い記録は「古事記」と「日本書紀」という、奈良時代に書かれたもの。しかし、これにも邪馬台国については書かれていないため、日本の書物では邪馬台国のことを知ることができないのです。
邪馬台国のことは中国の魏志倭人伝に書かれている
では、邪馬台国というのはなにで知ることができるのかというと、中国に残されている書物である「疑似倭人伝」という魏という国に残されている文書の中に書かれているのです。
これによれば、238年に日本人が中国の都市「洛陽」に拝謁(身分の高い人に挨拶すること)に来たとされていて、これが邪馬台国の女王である卑弥呼の使者(代わりに来た人)だったとされています。また逆に、中国の使者も邪馬台国に行ったとされていて、その行き方も書かれているのですが、昔の書物であるためそれをたどっても、海があるはずの場所に海がなかったり、たどり着いた場所が海のど真ん中だったり等で、どこにあったのかが分かっていません。
有力な場所は九州と畿内
そこで、各研究者は方角に間違いがあるのではないかとか、距離が現在の考え方と違うのではないかなど、さまざまな解釈(考え方)を加えて、日本の中のどこに邪馬台国があったのかを研究しています。
今、有力なのは九州にあるとされる「九州説」と、奈良や関西の「畿内説」という説がありますが、どちらの説にも決定的な部分がありません。また、他にも茨城県にあったという説などもあり、日本のミステリーとなっています。