元寇ってなに? どうして、モンゴルが日本を攻めてきたの?

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元寇げんこうは、モンゴル高原の遊牧民が勢力を拡大して建国した「元」という国が日本に侵略してきたできごとのことをいいます。

元寇は「元」という国の名前と敵に攻められることを意味している「寇」という2つの漢字が合わさってできています。

別の名前を「蒙古襲来」とも読んでいて、いろいろな呼び方のある出来事となっています。

元寇は、2回にわたって行われています。

それぞれ攻めるパターンなどは似ているものの、細かい部分などはかなり異なっていますから1つひとつ詳しく見ていく必要があります。

元寇は小さな出来事ではなく、鎌倉幕府が終わるほどの重大な内容ともなっています。

そのため歴史の学習をしていく上では、内容をしっかりと理解しておくことがとても重要です。

元寇が起こるまで

鎌倉幕府の時代に、モンゴルではチンギス・ハンやフビライ・ハンを中心にかなり勢力を広げていました。

YuanEmperorAlbumGenghisPortrait.jpg
Wikipediaより

モンゴルというと、今はそれほど大きな国ではないと思えるかもしれません。

しかし当時は、アラブやチベット方面まで支配していたとても大きな国だったわけです。

フビライ・ハンの時代ではさらに勢力を広げようと、東アジア(ビルマ・ベトナム・樺太)の方にも目をつけます。

東アジア(ビルマ・ベトナム・樺太)には朝鮮半島はもちろん、日本も含まれていました。

日本を攻める「元寇」のきっかけとされています。

また、フビライが東アジアを侵略しようとしたのは西方での支配力が弱かったことが問題ともされています。

攻めるべき方面が限定されてしまい、結果的に東アジアしか攻撃できなくなってしまったのです。

なぜ日本を攻めたのか

日本を攻めた理由としては、さまざまなものが挙げられます。

1つは、当時の北条時宗ほうじょうときむねが国書を無視したことがあります。

日本を支配したいと考えていた元は、いきなり戦いを仕掛けてきたわけではありません。

最初は日本に国書を送って、元に従うように要求してきたのです。

もちろん、元が日本に使者を送ってきたのは1度だけではありません。

しかし、日本に来る度に無視し続けていたわけです。

もう1つの理由は、日本が「黄金の国」として有名だったからです。

黄金の国というのは、日本での古代解釈です。

多くの資源を手にできる国を支配下に置くことができれば、自分たちの国を潤わせることができますよね。

土地を広げたいという背景もありますが、財政的な面でも日本がとても魅力的に感じたわけです。

2回の襲来

元寇は2回にわたって、行われています。

それぞれの襲来について詳しく見ていきたいと思います。

文永の役ぶんえいのえき

1つ目は「文永の役」です。

文永の役では、元が長崎県から日本に侵略をしてきます。

対馬→壱岐というように順番に侵略をされますが日本は勝つことができません。

戦いに参加した日本人の多くが被害に遭っています。

博多を攻めてきた際には、元軍が「てつはう」という道具を使って戦いに挑んできます。

慣れない攻撃に日本は苦戦しました。

しかし、その後元軍が撤退するときにはひどい暴風にあってしまい大きな被害を受けます。

戦うことができなくなった元軍はそのまま戦いをやめました。

文永の役にはいろいろな説があり「本当に暴風雨にあったのだろうか?」「元軍がかなり有利だったとは言われているが、実は相当な被害を受けていたのではないか?」といったさまざまな憶測が飛び交っています。

なので、真相は謎のままでもあります。

弘安の役こうあんのえき

次に起こったのが、「弘安の役」です。

平戸からのルートで似ているとは言われているものの、日本も1回目と同じパターンでやられるわけにはいきません。

異国警固番役いこくけいごばんやく」「防塁ぼうるい」といった様々な方法で、元軍の行く手を阻みます。

異国警固番役は、御家人かどうかに関係なく多くの人が動員されているのでかなり強力なものとなっています。

また非御家人も対象とされていることから、かなり強化されています。

防塁についても、石が多く積み上げられていて簡単に超えることができないので、元軍が戦いを挑む上ではかなり邪魔に感じたはずです。

また相手の攻撃パターンについても日本は1回目で学習していますので、かなり有利に戦いを進めることができました。元軍は数は多かったものの、みんながやる気を持って戦っていたわけではないといわれています。

気持ちが1つになって戦うことができなければ、当然良い結果は出ないですよね。

さらに元では戦いの間に病気が流行ったり暴風雨に見舞われてしまったりと、不幸が続きます。

暴風雨にいたっては、2回目になるのでかなりダメージは大きいですよね。

そんな状況もあって、2度目の侵略についても元は失敗してしまいます。

ちなみに、1回目の暴風雨については時期的にも本当にあったかどうかは難しかったようですが

2回目の暴風雨はかなり信ぴょう性が高いといわれています。

元寇後の問題

元の支配下になることもなく、無事に終わったように思える元寇。

しかし国内では多くの問題が残ってしまいました。

以下に詳しく書きました。

地頭職じどうしょくへの補佐になれない

1つ目は、地頭職への補佐になれないという問題です。

戦いに勝った場合は相手の土地を手に入れることができますから、戦いに参加してくれた人にその土地を配ることができます。

しかし、元寇の場合は戦いに勝ったとしても土地が手に入っていないですよね。

苦労して身を削って戦いに参加したのに、その恩恵を何も受けられないとなると当然不満が溜まっていきます。

鎌倉幕府に対しての不信感がどんどんと募っていってしまったわけですね。

次の元寇に備える

元寇が2回で終わったということは、私たちは歴史の勉強をしているので知ることができています。しかし、当時の人々は元寇が2回目以降も来るのかどうかが分かりません。

もしかしたら元が日本への侵略を諦めていないかもしれませんし、3回目の元寇があるかもしれませんよね。

そう考えると、日本側は常に緊張状態でいなければいけないことになります。

精神的な負担も大きくなりますし、警備も続けていかなければなりません。

新しく作った防塁の管理も必要です。

そんな風に新しくたくさんの負担が増えてしまったことからも、鎌倉幕府に対する不満が増えていきました。

徳政令とくせいれい

元寇に参加したときには戦いのための費用がかかっていますので、土地や報酬などがなければ御家人は経済的にも苦しくなります。

結果的に御家人は借金をすることになるのですが、戦いに参加してくれた恩もありますので幕府は徳政令を出して解決をしようとします。

しかし徳政令が出れば、お金を貸す側にとっては借金が返ってこないことになってしまいます。

当然、御家人にお金を貸すことをやめようとしますよね。

結果的にどんどんと御家人の生活が大変になっていってしまいます。

国のために戦った武士が、最後は生活すら難しくなってしまうということで悲しい展開になってしまったわけです。

まとめ

元寇については、難しく感じた方も多いかもしれません。

しかし侵略しているルートが似ていることや、暴風雨による被害が続いたことからもかなり覚えやすいできごとの1つではないかと思います。

元寇に関するゲームが発売されていたり、ドラマなどでも放送されています。

身近で取り組みやすい内容となっていますので、ぜひ1度見てみてはいかがでしょうか。

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この記事を書いた人

まつむし

小学校教諭6年・塾講師3年を経験後、WEBライターに転身。
教育現場にいたからこそ伝えられる温かい記事作りに努めます。